長源寺について

鶴林山長源寺は松江市東津田にある、臨済宗南禅寺派(りんざいしゅうなんぜんじは)のお寺です。

臨済宗は「一無位の真人(いちむいのしんにん)」ー人間は生まれながらにして仏とかわらない心をもち、本来みな清浄であるーという教えを説き、その自覚のもとに喜び・迷い・悲しみを乗り越え、日々精進して生活することをうながしております。

臨済宗南禅寺派の大本山南禅寺

本山の南禅寺は大明国師に帰依された、亀山天皇の勅命で創建されました。

⇒ 臨済宗大本山南禅寺 公式ホームページ

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長源寺というお寺

長源寺住職

■長源寺住職

山号:鶴林山

■山号:鶴林山

山号:鶴林山

■観音菩薩

長源寺が建てられたのは天正10年と伝えられており、開山は立翁廣本禅師大和尚(りゅうおうこうほんぜんじだいおしょう)です。同じく松江市にある南禅寺派宝亀山安国寺の中興です。中興とは、いったん盛んになったものが、また再び盛んになることをいいます。

長源寺はその安国寺の末寺のひとつであり、お寺には山号といって、お寺の別称が頭につきますが、長源寺は鶴林山といいます。鶴林山とは、お釈迦様が亡くなられた山をさしていることから、安国寺の住職が年老いて隠居したときに移るお寺であったといわれております。  

戦国時代に尼子氏の家臣であった立原久綱公(たちはらひさつなこう)が、尼子と毛利の合戦で犠牲となった人々の菩堤を弔うために、安国寺の立翁廣本和尚に就き出家し、領地を寺地としたことが長源寺の始まりといわれております。

長源寺の御本尊(ごほんぞん)は観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)です。

境内には開基(かいき)である立原久綱公の墓や、鎮守(ちんじゅ)である日御碕社(ひのみさきやしろ)があります。

禅宗にはめずらしく役ノ行者(えんのぎょうじゃ)と七面大明神(しちめんだいみょうじん)等が祀られております。

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立原久綱公の生涯

立原久綱公

■立原久綱公肖像

立原久綱公の墓

■立原久綱公の墓(長源寺境内)

  • 享禄4年(1531)に生まれる
    • 通称:源太兵衛(げんたべえ)
    • 出雲尼子氏(いずもあまごし)に仕え、その武勇を近隣に轟かせていた。
  • 永禄9年(1566)
    尼子氏は、毛利元就(もうりもとなり)によって滅ぼされた。
    • 当時、久綱公は尼子側の外交官として、主君と残った家臣たちの助命嘆願(じょめいたんがん)に成功。主家滅亡後、甥・山中鹿介(やまなかしかのすけ)等とともに尼子勝久公(あまごかつひさこう)を擁して再興軍(さいこうぐん)を結成。
  • 天正元年(1573)織田信長に謁見。
    • 信長は、久綱公の立ち振る舞いを「立原は男もよきが、立振舞も尋常なり」と評し貞宗(さだむね)の名刀を授けるとともに、尼子再興軍に支援を尽くした。
  • 天正6年(1578)
    播磨上月城(はりまこうづきじょう)にて、毛利軍に降伏。
    • 尼子勝久公は切腹を命ぜられ、鹿介とともに久綱公も捕らわれた。
    • 鹿介は殺害され、そのことに奮起した久綱公は牢獄を破り京に逃れ、出家して珠榮(じゅえい)と号して各地を巡錫(じゅんしゃく)。
  • 慶長18年(1613)4月26日没。享年83歳

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